[ぷる×2系 パワスポ]
栃木県名所 日光二荒山神社 前編
10月に発表された「都道府県魅力度ランキング2020」(ブランド総合研究所)で、栃木県が47位、つまり最下位に……!
ただし「市区町村魅力度ランキング2020」(ブランド総合研究所)によると、日光市は50位中で13位。
きっと「栃木県って特徴は?」と思う他県の人も、日光と言われたら「ピン!」とくるんですよね。
そんなわけで、地元を愛するシャチョーくん、勝手に「日光の見所de栃木県の魅力発信」キャンペーンを張っちゃいます!
日光街道の杉並木は
ギネス認定37km!
日光といえば世界遺産。ユネスコに登録された「日光の社寺」には、計103棟の「建造物群」と、建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が含まれています。
「日光の社寺」とは、日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社の3つ。
このうち日光二荒山神社が、シャチョーくんイチオシの見所です! 地元民目線の「ココがスゴイ」×3項目で、日光二荒山神社をご紹介しまショウ♪
【 ココがスゴイ_1】
近隣の名所の多くは、
日光二荒山神社に由来?!
1つ目のポイントは、奈良時代から1200年以上の歴史を誇り、日光山信仰のはじまりと言われる神社であること!
それゆえ、日光のさまざまな名所と関わりが深いんです。
日光連山八連峰の中心である「男体山」、古くは二荒山と呼ばれていました。そう、男体山が日光二荒山神社の御神体なんです。
上の写真は、男体山と中禅寺湖。
男体山山頂の御剣。
山頂付近には、神社の奥宮、
二荒山大神御神像もある。
男体山には、こんな伝説があります。神代の時代、男体山の神が「中禅寺湖」の水を巡って、群馬県赤城山の神と戦いました。
この戦の主戦場となったことから、奥日光の湿原は「戦場ヶ原」と名付けられたそう!
■過去記事:詳しく解説! 日光・戦場ヶ原の神戦伝説
紅葉時期の華厳の滝。
神社の御神域は、日光国立公園の中枢をなす日光連山をはじめとする3,400ヘクタールです。
神社の境内=鳥居の先ってイメージ、ありますよね。しかし、「華厳の滝」「いろは坂」も、実は日光二荒山神社の境内にあるんです。
御本社の大鳥居。
ちなみに、神社の主な構成要素は、男体山山頂の「奥宮」、中禅寺湖畔の「中宮祠」、山内(市内)にある「御本社」。
日光市民的には「日光二荒山神社と言えば御本社」って感覚。本記事のトップ画像は、御本社の神門です。
朱塗りの拝殿。
近くの本殿は「日光の社寺」で
現存最古の建造物。
10月、7年に渡る大修理が完了!
神苑内の「化け燈籠」。
夜、侍が幽霊と見誤り、
刀で切りつけた痕が残る。
樹齢550年の杉「胎内くぐり」。
2016年伐採のご神木をくぐる
とイイと、口コミで話題に。
上の写真3点も御本社のもの。ここだけでも、新旧さまざまな見所が点在しているんですよ。
【ココがスゴイ_2】
日光市民の心のふるさと、
かつ憧れの神社!
日光で育った者なら、一度は学校遠足で日光二荒山神社を訪れたハズ。
シャチョーくんは、御本社だけではなく、男体山の奥宮へと続く上の写真のような山中も散策した記憶があります。
日光一の神社でありながら、地元の誰もが馴染み深い神社なんです。
鬼怒川支流の大谷川
にかかる神橋。
もちろん地元民にとっては、神前結婚式=日光二荒山神社! 同社で式を挙げると、「神橋」を渡ることができるんデス。
神橋は普段も立ち入り可能ですが、道路側のゲートが開かれて渡り切ることができるのは、結婚式のときなんですよ……(憧)。
普段の神橋(道路側)は
こんな感じ。
神橋の初代は、奈良時代に勝道上人が日光山を開く際にできたもの。
大谷川に行く手を阻まれた勝道上人が神仏に祈ったところ、仏教の守護神・深沙王(じんじゃおう)が現れて2匹の蛇を放ち、その背から植物の山菅(やますげ)が生えて橋になったと言い伝えられています。
御本社内の祈祷待機所
からの眺め。
御本社で式を挙げて朱塗りの神橋を渡り、その後は明治6年開業の金谷ホテルで披露宴。これぞ、日光市民の憧れの結婚式です❤︎
伝説から「山菅の蛇橋」
「山菅橋」とも呼ばれる。
余談ですが、シャチョーくんは幼少時、なぜか「弁慶と牛若丸は、あの神橋で出会ったんだな〜」と勘違いしていました。
「神秘的な橋と言えば、二荒山神社の神橋!」って感じだったんですよね(汗)。
に続く