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こんにゃく じゃーなる

[ぷる×2系 パワスポ]

「蒟蒻神社」のご祭神とは?

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こんにゃく関連のパワースポット、第二回の訪問先は、その名もずばり「蒟蒻神社」!茨城県久慈郡大子町(だいごまち)にある、小さな神社です。

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最寄り駅は、常陸大子(ひたちだいご)駅。水戸駅からJR水郡線に乗り、小一時間揺られると到着です。どうでしょう、この景色!空気がうまウマです。

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水郡線の別名は、“奥久慈清流ライン”。周辺には、鮎が泳ぐ久慈川を筆頭に、名勝として知られる袋田の滝などが点在しています。そんな奥久慈地域は、古くからこんにゃく芋の栽培が盛んなことでも有名。

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駅からテクテク3〜4分ほど歩くと、「蒟蒻神社」のある「十二所神社」の入り口に到着しました。

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大鳥居をくぐると現れるのは、通称「百段階段」と呼ばれる参道。ひな祭りの時期になると、この階段に緋毛氈(ひもうせん=赤い敷物)を敷き、約1,000体ものひな人形が飾られるとか(今年は3/1予定)。

 

テレビニュースなどで、その様子を見たことのある人も多いのでは?

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階段を登りさらに進むと、12の神をご祭神とする「十二所神社」の拝殿に到着。「蒟蒻神社」は、こちらの末社になるようです。

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山をバックに鎮座する「十二所神社」を過ぎて山道を進むと、「蒟蒻神社」の鳥居がありました。“おばぁ”が毎日、この鳥居をくぐって参拝していそう…。『日本昔ばなし』的世界です。

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拝殿も、ちょこんとシブめ。

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祀られているのは、現在のこんにゃく製造法の始祖となった、中島藤右衛門(1745~1825)。

 

中島藤右衛門がどんな功績を残したか、わかりやすくまとめると…。

 

[江戸中期 以前]

原料のこんにゃく芋をすりおろして、こんにゃくを製造。

芋は傷みやすく重いため、製造できる時期が限られ、輸送も困難だった。

 

[1776年 藤右衛門が発明]

水戸藩の藤右衛門は気づいていた。

「芋をスライスし乾燥させると、腐らないっぽい!」と。

 

なぜなら、偶然見つけてしまったのだ。

鍬(くわ)で切られた芋の破片が、天日で乾燥したものを…。

 

15歳から研究を重ね、この年、ついに発明に至る。

それが、「芋を輪切り→天日で乾燥→“荒粉”に→製造時に荒粉を製粉」という、新たな製造プロセス!

 

[江戸後期 以降]

原料の保管期間&輸送効率UPで、庶民にも流通。

こんにゃくは、水戸藩の特産物に。

 

[現在]

芋を粉にして使用するという製法は、今もなお、にゃくにゃく…もとい脈々と続いている。

 

というワケで、と〜ってもエラい人なんです(コチラも参照♪)。

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山地の多い奥久慈は、栽培できる農作物に限りがあります。それゆえ、地域で多く栽培されていたこんにゃく芋の販路拡大は、藩の経済をうるおすことに。

 

藩主は発明の功績をたたえ、藤右衛門に名字帯刀を許し、藤右衛門は「中島」の姓を名乗ることになったそうです。

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もちろん現在も、奥久慈ではこんにゃく芋の栽培が盛んです。画像は、大子町育ち、5年生のこんにゃく芋!

 

近年までは、大子町を中心としたこんにゃく芋の産地で、藤衛門の肖像や芽吹いた芋を描いた掛け軸を床の間に掛け、藤衛門の功績をたたえるとともに収穫を感謝する「藤衛門講」なるものが行なわれていたとか…。

 

さらに、中島藤右衛門の命日である4月8日付近には、毎年「蒟蒻神社」の春期例大祭が行われ、おでんこんにゃくが配られたりするそうです。

 

知れば知るほどに偉大っす、中島藤右衛門扇…!

 

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奥久慈には、幻の食材と呼ばれる伝統食材・凍み蒟蒻や、趣向を凝らしたこんにゃく食材&料理も豊富です。参拝の際は、グルメのお楽しみもお忘れなく♪そちらは「ご当地 美味 を訪ねて」のシリーズで、改めてレポートいたしまーす。

 

 

■おまけ■

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「蒟蒻神社」の近くには、シャチョーくんの住む栃木県の日光市とゆかりの深い石碑も立っているとか。その名も「光圀公日光東照宮遥拝碑」。

 

黄門さまこと徳川光圀がこの辺を訪れた折、山の上から約60キロ先の日光東照宮を眺めたことを記念した碑だそうです。

 

この日は碑を探すも山道に迷い込んでしまい、発見ならず…。「蒟蒻神社」、一歩先はケモノ道のようなものしか存在しない、山そのものでした。

 

誰か、碑を見つけた人がいたら、シャチョーくんの代わりに、日光とこんにゃく業界の発展を祈って(?)おいてくださーい。